【日常】 さよなら、ばあちゃん

SNSやブログで湿っぽい話題ってあんまり好きじゃないけど
なんか書きたくなったので書く。

 

先日ばあちゃんが亡くなった。

 

1年前までは驚くぐらいに元気でピンピンしていて
「こりゃ100歳まで生きるわ」と自他共に言っていたが、
転んで大腿骨を骨折し入院してからは状態が一変。

心身ともにどんどん悪くなっていって
去年の暮れには寝たきりで、食事もできず点滴で生命を繋ぐ状態に。

そしてそのまま病室で静かに眠りについた。

 

誰も看取ってあげることができず
独りで逝かせてしまったのが本当に心残りではあるが、
死に顔はとても安らかだったそうで。
それだけは良かったかなと。

 

思い返してみると自分はつくづく「ばあちゃんっ子」だったなぁと思う。
両親が共働きだったため、幼少時は自分のそばには常に祖母がいた。

 

毎日保育園の送り迎えをしてもらったり、
風呂に入れてもらって一緒に湯船につかって100まで数えたり、
一緒に犬の散歩をしながら河原で胡桃や栗を拾い集めたり。
ばあちゃんと一緒に過ごした時間。
それは膨大で密度も濃く、思い返すと枚挙にいとまがない。

 

サラリーマンを辞めて役者やモデルの仕事を始めたときには、
典型的な田舎の堅実志向だったばあちゃんは俺の仕事をよく否定していた。
価値観の違いだから仕方ないと思ってた。
そこはずっと分かり合えることはないだろうと。

 

しかし葬式の準備をしている最中、近所のおっちゃんに唐突に
「浩君、自慢の手ぇ見せてくれやぁ」と言われた。
なんで俺の仕事のことを知ってるんだろうと驚いたが、
どうやらばあちゃんは近所の人達に俺のことを語りまわっていたらしい。

 

口ではいつも俺の不安定な仕事のことを否定してたが、
内心ではちゃんと認めてくれていたのだろう。
少しでも誇れる孫であれたのかなと思えてちょっと嬉しくなった。

 

通夜・葬式には予想を超える多くの人数が参列して涙してくれた。
こんなに多くの人に愛されていたんだね。
俺も誇りに思ってるよ、ばあちゃん。

 

いろいろありがとうね。
本当に楽しかったよ。
ゆっくりやすんで。

 

10年程前には6人と犬1匹だった家族。
気が付けばもう自分と兄の2人だけになってしまった。
じいちゃん、ばあちゃん、親父、お袋、
自分の根幹を形成した存在はもうこの世にはいない。

 

ばあちゃんが亡くなった翌日、成人の日。
世間では20歳、30歳なんかをよく人生の節目として扱うけど、
自分がその歳になったときには何も思うモノはなかった。
どっかのエライ人が決めた365進数の20や30に全く興味はない。

 

ただ、祖父母・両親が皆いなくなったってことには、
これまでにない非常に大きな節目を感じる。
自分を育ててくれた尊敬すべき存在がいなくなったのだ。
うまく文章で説明できないけども、心情的には何かが今までとは違う。

 

「今まで以上にしっかりしなきゃ?」
「自分の家庭、次の世代を考えなきゃ?」
どの感情も近いようで遠く、しっくりくる言葉が思い浮かばない。
でも確実に何かが変わった。

 

葬儀を終え、東京の自宅に戻った。
今までどおり部屋には独りきり。
ばあちゃんが死んでも東京のこの部屋は何も変わりやしない。
生活も仕事も何も変わりやしない。
自分の内面の「何か」以外は。

 

昔、親父もお袋もそれぞれ生前最後に話をしたときの言葉は
「好きなことをやって生きろ」だった。
ちょうどサラリーマンか役者かで揺れていた時期。
この言葉は自分にとって大きな後押しになった。

 

おかげさまで今、好きなことをやって生きている。
世間様から見ればちゃらんぽらんな生活かもしれないけど。

 

でも好きなことやって生きろってのが両親の遺言。
好きなことやって生きるのが親孝行。
そう思えるからこそ、いま堂々と全力で好きなことに打ち込むことができる。

 

俺にとって最善の遺言を残してくれたんだね。
今になって実感したよ、ありがとう。

 

ばあちゃんも自分の生き方を認めてくれていたことを感じたいま、
これからも今まで以上に好きなことをやって生きようと思う。
堂々と、誇りを持って。

 

自分の中の変わった「何か」はいまだはっきりしないけど、
自分の思うがままに、信じるままに行動していれば、
その「何か」は良い方向に影響してくれるだろう、きっと。

 

さーて、あの世にいっぱい土産話を持っていけるように
あらためてがんばっていきましょ。

 

人生エンジョイ&エキサイティング。

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