隅田川花火大会翌朝の堤防の状況。
ごみだらけ、っていうか、
宴会終わった後そのまま人間だけいなくなった感じ。
食べ残しも、飲み残しも、ブルーシートも、飲み物冷やすのに使ったであろう簡易プールも、
全てを放置してそのまま帰ってる。
なんだろうね、
なんであれだけ豪快で鮮やかな花火をみて
「キレイー!」なんて歓声を上げて、
その手で自分の足元を「キレイ」とはほど遠い状態にするんだろう?
それなりの大人数で飲んでいて、誰一人としてごみを置いて帰ることに意見を言わなかったのかな?
そこにいた全員が「どーでもいいや」と思ったのか。
赤信号みんなで渡れば怖くない的なアレなんだろうか。
でも、赤信号を無視して渡っても事故さえ引き起こさなければ誰も不幸にはならないけど
(赤信号を渡ることは違法です。肯定はしません。)
ごみを捨てて帰れば、必ず誰かがそれを掃除しなければいけないわけで。
誰かの怠慢を、誰かが尻拭いしている。
誰かが嫌な気持ちになりながらごみを拾って、それには人件費がかかっていて、
もちろんその財源はみんなの税金から捻出されているわけで。
税金が年々上がっていくことにワーワー言ってるのは誰よって話。
自分達で自分達の首をしめていることぐらい、ちょっと頭を働かせれば気がつくはず。
日本人がサッカー場で自発的にごみ掃除をして帰ったとかで
「素晴らしい民度だ日本人!」みたいなニュースはよく耳にする。
SNSでバズられて、ちょっとした自画自賛祭りになることが多いけど、現実はこんな感じ。
どんな美談を目にしても、耳にしても、
さぞ自分もそこに加わっているかのようにその美談を誇りに思うだけで、自分自身は実践しないどころか、
目の前の自分が出したごみへの責任すら放棄する。
うん、げんなり。
もし目の前に「人類滅びるボタン」なんてものがあたら、
今日、この気持ちならば勢いで押してしまいそうだ。
隅田川花火大会自体は素晴らしいイベント。
素晴らしいからこそ、毎年おおよそ100万人もの人間が詰め掛ける。
100万人を動かす何かがある、そんなイベント。
だったら、そのイベントへの向き合い方、もうちょっと考えてみようよ。
答えはこれ以上ないぐらいに簡単だと思うし、
実践するのも簡単。
コメント