「不要不急」という言葉が、いかに不適切かという話
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、11都道府県に緊急事態宣言が発令されて2週間ほど経ちました。
とりあえずいまのところ、緊急事態宣言の効果は実感できてない模様。
メディアも2週間経ったのに思うように減らせていないと報道するようになりました。
まぁ、そりゃそうだろうよ。
前にGoToを止めたところで感染拡大が劇的に収まることなんてないってことは書いたことありますが、
緊急事態宣言もまったく同じことが言えます。
感染拡大の要素のひとつではあっても、それが中核の理由にならないのは予想したとおり。
どう考えても季節的要因が一番でかいとみるのが自然だもの。
たぶん、集団免疫がもうちょい広まったり(残念ながら数か月で消えちゃうらしいですが)、
低温低湿の季節が過ぎたりすれば自然に下火になっていくと思われますが、
それまでは緊急事態宣言の内容を厳しくしようが、あまり効果は期待できないでしょう。
緊急事態宣言も、ロックダウンも、その締め付けデメリットを上回るメリットは生み出せない。
素人の俺でも、この1年間の情報収集だけでほぼ断定レベルでそう判断できちゃうんだけどね。
いまだに「緊急事態宣言でもダメなら、次はロックダウンするしかない!」なんて叫んでる専門家も見かけたりして、ちょっと唖然としてます。
この1年でよーく分かったこと。
専門家の中には自分の得意分野の情報でしか判断できない人が一定数いるし、
中には利権が絡んでいたり、ただひたすらプライドが高いだけの無能さんも死ぬほどいるってこと。
「専門家が言っているから」を鵜呑みにしてはいけないことは知っておきましょう。
その専門家が信用できるかというところまで調べなきゃダメな世の中。
ははは、なんとも面倒ですな(皮肉)。
ほい、閑話休題。
今回の話の本題は別です。
物申したいのは「不要不急」というワードについて。
緊急事態宣言の中でめちゃめちゃ耳にしますね、「不要不急」というワード。
今やらなくてもいい、急いでやる必要のないことは止めようということで、
飲食業や観光業、エンタメ業などは大きなダメージを受けてます。
自分も今月末に演劇公演が1本控えていましたが、例外なく影響を受けて公演は中止。
オンライン配信で朗読をするという極めて小規模の企画へ縮小せざるを得ませんでした。
ああ、残念極まりない。
この「不要不急」ってワード。
もちろん昨年の1回目の緊急事態宣言のときにも存在したワードなんですが、
今回の2回目の緊急事態宣言のほうが多く耳にするような気がします。
前回は「3密」のほうが警告の言葉としてメジャーじゃなかったっけ?
今回の緊急事態宣言中では、警告するときは「不要不急」のほうが圧倒的に使われている。
緊急事態宣言発令の文言の中に含まれているからとはいえ、ちょっと不思議。
「不要不急」という言葉がはらむ矛盾
前に自分のブログでも何度か書いてるんですが、「不要不急」という言葉には大きな問題があって。
人によって不要不急の概念があまりにも違うということです。
例えば一般的なサラリーマンで見てみましょう。
サラリーマンの目線からすれば、
勤務先で仕事をすることは生きていくために必要なことであることはいうまでもありません。
これは不要不急ではないですよね。
でも、勤務後に居酒屋に飲みに行ったりするのは絶対に必要なことではありません。
休日に旅行にいくことも、ショッピングモールに買い物に行くことも、映画館に行くことも、
どれも「今絶対に急いでやらなければいけないこと」ではないので、これがいわゆる不要不急ですね。
しかし、居酒屋や、旅館や、ショッピングモールや、映画館の従業員。
こちらの目線から見たらどうでしょう?
この職種の人たちはすべて来ていただいたお客さんに何らかのサービスを提供して対価を頂くものですが、
すべて仕事なわけで、生きていくために絶対に欠かせないことなわけです。
つまり不要不急ではありません。
簡単に言えばですね、
消費者側の不要不急と、サービスを提供する側の不要不急が、まったく噛み合ってないんですよね。
言い換えれば、絶対に成立のしようがない事象なんですコレ。
なので、全国民に一律で「不要不急を止めろ」って発令自体が矛盾だらけで守りようがないことなんです。
そもそも「不要不急でないことをする」=「感染拡大」なのか?
「不要不急の行動はやめましょう」
「その行動、不要不急ではないですか?」
みたいな啓蒙フレーズは街でたくさん耳にしますが、
そもそも「不要不急でないことをする」=「感染拡大」って思考が、極端なんですよね。
たとえば、さきほど例に挙げたように一般のサラリーマンが飲食店に食事に行った場合。
この行為を「不要不急だ」と非難する声は世間にはたくさんあるようですが。
仮にですよ、
マスク着用で訪れ、入店時には手をアルコール消毒、会話をせずに黙々と食べて、お会計は電子決済で誰にも触れることなく帰る。
これで感染って拡大します?
大事なことなのでもう一回言います。
ねぇ、これで感染拡大します?
別の例。
先日は小池都知事が、新宿、銀座、秋葉原の休日の歩行者天国の中止要請を出しましたが。
歩行者天国って屋外だし、歩いてみればわかるけど人と人との距離なんて全然近くないでしょ?
歩行者天国止めて人が歩道に固まればそっちのほうが密集じゃん。
そもそも、歩行者天国目的で歩行者天国にやってくる人なんておらんでしょ。
みんな買物を目的に来てんだもん。
「ホコ天ないから買物いくのやーめた!」って人はほとんどいないと思う。
中止にしたところで人出の総数にはほぼ影響ないんじゃないか?
ねぇ、歩行者天国で感染拡大なんてします?
ちょっと説明してみてよ、具体的に、科学的に。
分かりやすくさ、ほら。
・・・嫌味はまぁ、このへんにして。
結論を言ってしまえば、
不要不急なことをすることが悪いんじゃなくて、感染拡大につながることをするのが悪いんですよね。
回避しなきゃいけないのはあくまで感染拡大であって、
そのときの行動自体に必要性があるかどうかは、まったく関係ないんですよホントは。
我々が目指すのはいつから「不要不急をしない世界」になったんでしょうか?
本来目指すのは「感染拡大しない世界」のハズでしょ?
もう、目的と手段がわかりやすく入れ替わりすぎてる。
歩行者天国中止なんて、いい例ですよね。
「不要不急な行動の阻止」が最大の目的になっちゃってるからそういう判断をする。
結果、そこでお店を営む人達の生活が、ただ無駄に、ただ無意味に奪われる。
まぁ、ホコ天の場合は前述のとおり人出への影響は少なそうだけど。
でもこれと同様なことがいろんな業種や催し物で起きてるよね?
「不要不急な行動の阻止」だけが方針として先走った結果、
営業中止を強いられたり、イベント中止を強いられたり。
感染対策に効果的かどうかは関係なく「不要不急かどうか」という物差しだけで、
ただ無駄に、ただ無意味に、殺されている人達はたくさん存在する。
「不要不急」=「悪」という印象が、すでに間違っている
先日の成人式では、例年に漏れず大暴れする若者が現れましたね。
世の中には「不要不急?しらねーよバーカ!ヒャッホー!」って人種が、
残念ながらそれなりの割合で存在します。
カラオケ大会やっちゃう高齢者はいつまで経っても絶えませんし、
明らかに感染広がるよね的なダンスパーティーやってる芸能人もいました。
感染拡大に対して配慮のない行動をする層が一定数存在します。
こういう人たちをまとめて「不要不急を破った悪人」と表現するのは簡単です。
でも、非難されるべきはあくまで「感染拡大につながる浅はかな行動」自体であって。
感染が拡大しない不要不急の行動が世の中に確実に存在する以上、
「不要不急」と一括りで悪にするのは間違ってると思います。
だって「不要不急」のすべてを悪に認定したら、生きていけなくなる人がいるんだから。
本当に悪とすべしは、感染拡大につながる行動、それのみです。
「不要不急」を避け続けて生まれる不幸を想像してほしい
どんなに気を付けて対策を万全にしていても感染を100%防げないことは百も承知です。
対策万全の不要不急の行動で意図せず感染しちゃう可能性はゼロじゃありません。
でもそれは、生きるのに欠かせない行動をしたときだって条件は同じ。
とりあえず声を大にして言いたいのは、
「不要不急な行動」=「悪」という短絡的な価値観は間違いだし、ズレているということ。
そしてその価値観を持ったままこの先突っ走っていくと、失われるものの大きさは疾病による不幸の比じゃないし、
無関係だと思っていたそのツケはきっちり自分たちに跳ね返ってくること。
失業者増加、自殺者増加、出生数減、・・・
経済的な損害額は途方もないし、自殺者増加分&出生数減少分&妊娠届減少分を合わせると命はすでに万単位で失われてます。
自分の身近な事じゃなかったり、未来の事だったりで実感ないかもですが、
この経済萎縮&少子高齢化の進行で近い将来の日本はどうなってると思います?
2050年には人口は3/4、その1/3~1/4が高齢者って試算ですよ。
そのときには復興税、消費税、健康保険料、年金保険料、年金受給額、所得税、住民税、医療費負担割合、これらはどうなっているでしょうね。
某専門家の先生は、数理モデルとやらを使って当たらない予言を出して、ついでに本とか出したりしてますが。
お得意の数理モデルでこのへんの試算もぜひとも出していただきたいもんです。
繰り返しになりますが、
やるべきは「感染拡大」を防ぐこと!
それを「不要不急な行動をしない」の一言でまとめるな!
その考え方は未来に不幸しか待ってないぞ!
ってのが言いたいこと。
いろいろプラスの方向に変わっていきますように。
未来の不幸がみんなの頭の中で具体的にイメージされるようになりますように。
5年後10年後になってから騒いだって手遅れだし、そんな世の中を我が子に体験させたくないもの。
もし幸せな未来を望むのが贅沢だというなら、
せめて不幸が少ない未来を。
したらな。
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