今日はSPACE梟門でこれを観てきた。
わるぢえ「髪をかきあげる」。
わるぢえは、大島寛史と市原一平が組んだ2人ユニット。
大島とはラクリーメロッセの読書会、
一平とは螺旋と蜘蛛で一緒に共演したばかり。
これぐらいの世代の役者ってテンションとパッションで押してる感じの子が多いんだけどね。
こいつらは若手のクセに玄人染みた技巧派な演技を得意とする、なんとも生意気な小僧どもだ(笑)
コノヤロー!(笑)
さらにこれまで俺とは共演常連の佐藤みつよ、
2015年の初演のパンクドランカーで共演した山本悦子も参加。
そりゃオモシロイもんできるでしょう!ヾ(*´ω`)ノ゙
さて感想。
「髪をかきあげる」は鈴江俊郎の脚本。
1990年代の作品なんだけど、いまこうして観劇しても全然古臭さは感じないね。
時代に左右されない、普遍的なものがこの脚本にはあるってことなのかな。
ヒロインのトモヨ、
トモヨのセフレである中川、
同僚であり中川をトモヨに紹介した村井、
会社の上司でありトモヨをストレートに口説く早川、
中川の家庭教師の教え子であるお嬢様・めぐみ、
子供を亡くした傷を癒せずに夜の河原を散歩する夫婦。
それぞれがそれぞれで満たされていない心の隙間を持っており、
最初はオムニバス的に独立して話が進んでいくのだが、
展開するにつれてそれぞれの感情と関係が結び付けられていく。
登場人物たちの行動は、一言でいうとかなり「妙」。
テーブルの上に立ったり、馬の真似をしたり、バンバン服を脱いだり。
話してる内容もいろいろズレていたり、食い違いがあったりする。
でも全然気にならないんだよね。
行動や言動が「妙」であっても、その人の本質的な感情がブレてないから説得力がある。
意味のない行動、ズレた会話。
考えてみりゃ現実だってそんなもんなのかもねー。
印象に残ったのは、中川が「俺が好きなんだから」という理由でトモヨを求めたときのトモヨの昔話。
「昔は太っていた。
ダイエットに成功したら家族も先生も友達もすごく褒めてくれた。
そのときから自分の体は自分のものじゃなくなった」
っていう内容の話なんだけど、そうだよなぁってすごく共感した。
あるよねぇ、そういうの。
世間から何かを評価されたら、それを保つのが当たり前になり、
それのために生活するのが当たり前になり。
生きる目的がいつのまにかそういうツマンナイものにすり替わっちゃう。
たぶん誰もが、大小あれどそういうの持ってるんじゃないかな?
俺自身、子供の頃は褒められたくて生きてた。
子供の頃にとってた行動は「楽しいから」とか「やりたいから」とかじゃなく、
「褒められたいから」が大半を占めていたような気がする。
褒められたいから真面目に振舞っていたし、
褒められたいから勉強したし、
褒められたいから授業中の先生の質問にも積極的に手を上げていた。
いま考えると壮絶につまんない生き方だよね(苦笑)
子供の頃の俺、ほんとバカだなっ!
もちろんそういう承認欲求っていうのは今でもあるけども。
そりゃ褒められれば誰だって嬉しいもんだ。
認められたら誰だって悪い気はしない。
人間の本能だからね。
でもそれ自体が「目的」になっちゃうとね。
そんな生き方はもったいないなって思う。
だからトモヨがそれを拒絶して、自分の思う選択をしたシーンは好きだね。
(結果的には、早川の唐突な裏切りによって突き放されちゃうんだけど)
実は大学時代に先輩たちがOB公演と銘打って、
この「髪をかきあげる」を上演したのを観たことがある。
そのときも面白い作品だとは思ったけど、いま思えば全然解釈できていなかったなぁ。
大人になって、就職したり、いろんな出会いと別れを繰り返したいま観たからこそ、
理解できることがたくさんある脚本だなぁと感じた。
髪をかきあげる。
いずれ自分もやってみたい脚本のひとつだね。
みんな千秋楽お疲れ様
またね!
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