現状のコロナ対策が過剰だという意見が、世間で徐々に増えてきた
最悪シナリオ「可能性低まった」 新型コロナのシンポで専門家
新型コロナウイルスに関する日本感染症学会のシンポジウムが20日、東京都内で開催され、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長らが感染拡大の現状などについて見解を明らかにした。
尾身氏は「全国的に見ると(感染拡大は)だいたいピークに達したとみている」との認識を示した。同分科会メンバーの押谷仁・東北大教授も「大都市で数万人が死亡し、医療が崩壊するといった最悪のシナリオが起きる可能性は低まってきた」と指摘。ただ、接待を伴う飲食店を中心としたリスクについて、さらに低減させる必要があるとした。
また尾身氏は、クラスター(感染者集団)の発生が続く中、どんなに注意しても現状では完全な感染予防は不可能だと強調。「こういった状況では不安が生じるが、心の持ちようや対処方法を考えておき、冷静に対応することが重要だ」と述べた。
その上で「新型コロナの実態は、この半年でかなり分かってきた。クラスターが見つかることは不安ではなく、制御できる機会の発見で安心につながると考えてほしい」と提言。さらに国に対し、医療機関への人的、財政的な支援を迅速に行うことなどを求めた。
押谷氏は今後の社会のあり方について「全ての場でリスクゼロを求めると、社会や経済の活動を著しく制限せざるを得なくなる。新型コロナを正しく評価し、どこまでリスクを許容するかについて社会のコンセンサス(同意)を得ていくことが必要だ」と指摘した。
引用:Gooニュース 産経新聞
2か月ぐらい前までは「経済より命に決まってるじゃないか!再度緊急事態宣言を出すべきだ!」なんて声が非常に多かったんですが、最近ではメディアの声もだいぶ風向きが変わってきましたね。
キャスターやコメンテーターの間でも経済を回すべきという意見が多く見られるようになり、
SNSやヤフコメなんかの論調もかなり変化が見られます。
ちなみに先日はツイッターで「#新しい生活様式撤廃を要求します」なんてタグが飛び交っていました。
もうマスクいやだー!普通に生活させろー!みたいな。
こないだのAmazonプライム解約運動といい、最近はみんなこういうの好きね(遠い目)。
自分はずっと新型コロナウイルスについては
「正しく知って正しく恐れよう」ってスタンスです。
自分もいまのコロナ対策はリスクの大きさに対して過剰だと感じているので、
もし「あなたは新しい生活様式撤廃を要求しますに賛成ですか?反対ですか?」と2択で問われれば、
いちおう賛成側ってことになります。
まぁ、個人的にはこのタグで騒いでる人たちとグルーピングされるのは嫌なんですけどね(苦)
だって、このタグで騒いでる人たちの大半って、
「コロナはただの風邪だ!」って乱暴に言い切ってたり、
こないだの山手線クラスターフェスとかに参加してたような層なわけでしょ?
そんな0か100かの思考でしか動かない連中と同じ分類にされるのは、やっぱ不本意。
新型コロナウイルスが日本人にとってそれほどの脅威でないっていっても、
完全ノーガードがベストだとは自分は1ミリも思ってないので。
自分の考え方としては、
「いままでと同じ生活をする。でもインフルエンザと同程度の警戒と対策はする」
これが疾病死と経済死のバランスを見たうえで妥当な落とし所じゃないかと。
これは半年ぐらい前からずーーっと思っていて、いろんなデータが揃ってきた現在でも、
一番不幸の総量が少なくなるであろう落とし所として、なんらズレてないと確信してます。
コロナ対策に万全な「コロナ優等生」の存在
そんな中で見ていて最近つらいなぁと感じるのが、コロナ優等生の存在です。
コロナ優等生って何って?
あ、スンマセン、勝手に言葉作りました。
えーと、コロナ優等生ってのはコロナ対策が徹底しまくってる人や団体のこと。
勝手ですが、とりあえずそう定義させてくださいな。
たとえばですね、
【事例1】
帝国劇場、従業員1人がコロナ感染 一部公演中止に
帝国劇場、従業員1人がコロナ感染 一部公演中止にニュース| 帝国劇場(東京・千代田区)は16日、同社に勤務する従業員1人が新型コロナウイルスに感染していたことが判明したと発表。これにともない、7月18日から同劇場で予定していた『ジャージー・ボーイズ イン コンサート』公演について21日までの4公演を中止すると発表した。なお、同期間で予定していたライブ映像配信について...
この帝国劇場の事例では、外部や演者、他従業員と全く接触がない一人の陽性者の発覚で、
控えていた4公演を中止してチケット料金を払い戻しとしました。
陽性者に発熱等の症状があったかどうかは不明。
これ、感染を1ミリたりとも広げないという観点ではこれ以上ないぐらいの最高の施策でしょう。
つまりこれはコロナ優等生ってやつですね。
【事例2】
新国立劇場に勤務する業務委託者の新型コロナウイルス感染と バレエ『竜宮 りゅうぐう』7月30、31日公演の中止について
【重要】新国立劇場に勤務する業務委託者の新型コロナウイルス感染とバレエ『竜宮 りゅうぐう』7月30、31日公演の中止について新国立劇場からのおしらせ。新国立劇場では、オペラ、バレエ、ダンス、演劇など最高水準の現代舞台芸術を発信し続けます。
こちらは業務委託者1名が発熱し、感染が判明したケース。
この方のお仕事が事務なのか舞台班なのかわかりませんが、
お客様に接するポジションではないとしながらも、バレエ公演は丸ごと中止となりました。
これもコロナに対しての安全をMAXで配慮している、コロナ優等生。
ほか、小劇場系の団体では、
・出演者の家族に陽性者が見つかったため公演中止
・出演者が飲み会に出席したため公演を降板した(その飲み会で陽性者が出たわけではない)
といった話も耳にしました。
こちらもコロナへの対策としては最高レベルで、コロナ優等生ですね。
公演を中止したり、降板したりすることは、作り手にとってとてつもなく辛い決断です。
金銭的にもメンタル的にもそのダメージは計り知れません。
お客さんに作品を届けられないって、これ以上苦しいことは他にないですもん。
それを踏まえて中止や降板の判断をした人達に同情するし、何かしら救いがあってほしいとも思います。
でもね、それを踏まえた上で言わせてほしいです。
一見して素晴らしいと感じられるコロナ優等生ですが、コロナ禍を終わらせるには逆効果にもなりえると。
コロナをどこまで恐れるべきか、正しいラインはどこなのか
もし新型コロナが感染したらあっさり命を落としてしまうような極悪殺戮ウイルスであったなら、
コロナ対策は万全であればあるほど望ましいと言えます。
ですが、新型コロナの危険性はそれほど高いレべルでないことを示すデータはどんどん揃いつつあります。
コロナの危険性がどんなレベルかって記事は前に書いたんでこちらをどうぞ。
あとはプレジデントの記事だとこのへんが参考になるかな。
→新型コロナは結局、本当に「恐ろしいウイルス」なのか…日本人の反応は正しいか
この2つを読んでいただくと分かると思いますが、
少なくとも新型コロナは、たった一人の症状問わずの陽性者が発覚しただけで、
その催しを丸ごと消し飛ばさなきゃいけないようなウイルスではないと判断できます。
また、無症状の保菌者は街中にいくらでも溢れかえっていると考えられ、
作り手や来場するお客さん全てから完全にそれをゼロにするのは物理的に不可能です。
それがたった一人発覚したらそれで試合終了って、それが理にかなっているかどうかは一目瞭然でしょう。
正しい感染対策が必要なのは言わずもがなです。
ですが、過剰な感染対策は明らかに自分の首を絞めます。
締まるのが自分の首だけではないということ
こないだ、こんなツイートを見かけました。
帝国劇場は演者と接触する機会はなかった従業員に、劇団四季四季は主演しない俳優に、新国立劇場は業務委託者に感染者が出て中止になったけど、プロ野球は中止しなそう。 https://t.co/BsS3SG8eL9
— mio (@mioviolin) July 31, 2020
どういう状況かわかるでしょうか。
この方は、帝国劇場や新国立劇場の感染対策を基準として語っています。
演者やお客さんと接点がない従業員1人の陽性反応で中止とした判断をみて「これが全ての業界、全ての団体にあるべき姿だ」としてしまっているわけです。
たまたまこのツイートで批判対象となっているのはプロ野球ですが、
別にこれは他のどんな団体にでも矛先を変えることができちゃいますよね。
「あそこは中止にしたのに、なんでお前らはやるんだ」って。
これはコロナ対応を万全過ぎるぐらいに行ってしまった故に生まれた、負の副産物です。
・演者やお客さんに関係ない従業員の陽性反応で公演中止
・演者の家族が陽性反応で公演中止
・演者が飲み会に参加したら降板
これらの対策は感染を完全に根絶するという視点ではこれ以上ないですが、
これらをみんなでやればやるほど世間ではそれが標準と考えられるようになり、
やらない場合は批判対象にされてしまいます。
がんばればがんばるほど、次の首がしまってしまう状態ってわけです。
新型コロナウイルスの粒子が地球上から1粒残らず消え去ることは1億パーセントありえません。
常にウイルスは私たちが過ごす空間に漂い続け、無症状の保菌者は常にどこにでもいる状態です。
また、PCR検査は採取したDNAを増幅させて存在を検知する仕組みです。
これは発症しない程度の少量のウイルスであっても、すでに自己免疫で死滅したものであっても、容赦なく陽性であるという結果を通知してきます。
前述しましたが、無症状のウイルス保菌者なんてそこらじゅうにいると考えられる以上、
「陽性反応者たった一人で即アウト」っていうルールの浸透化を進めることが正しいのか?というところ。
行き過ぎた対策を繰り返すことで、それが常識として根付き、その常識に苦しめられるのは自分や同業者に他なりません。
すでにコロナ禍の本質は、病災ではなく人災になりつつある
もう多くの人が気付いてるかと思いますが、
このコロナ禍で生まれている不幸の多くが、ウイルスからではなく、ヒトから生まれています。
自粛警察やら、マスク警察やら、また陽性者を特定したり、非難したり、迫害したり。
いまはウイルスという病理的な疾患で苦しむ不幸の量より、
コロナを恐れる人が生み出している不幸の量のほうが圧倒的に大きくなってしまっていると言えるでしょう。
新宿シアターモリエールの舞台クラスターの騒ぎのとき、
SNS上で「対策がずさんだった」とヒトがヒトを攻撃し、演劇業界自体も攻撃されました。
たしかに対策について議論するべき点は多々あったと思います。
でもおかしくないですか?
あんなに多くの意見が飛び交っていた中で、
「重症化してしまったひとはいるんだろうか?」
「症状に苦しんでいて大変なんだろうか?」
というような、感染者の病状を心配に思う声はひとつも見かけなかったんですよ。
もうね、ズレてんじゃん、それ。
コロナという病気で苦しむ人を少なくするために感染対策してたはずなのに、
いつのまにか人から攻撃されないための感染対策になってる。
演劇に限らず全ての業界の全ての団体が、批判されないために対策をがんばっている状態。
本来の目的からどんだけねじれちゃったんだ、って話。
対策はすればするほど良しではない、行うべきはリスクに見合ったラインでの対策と正しい世論作り
これはもう何度も繰り返し書いてるんですが、
とにかく一番大事なのは正しく知って正しく恐れるということ。
いま世間がコロナを本来のリスク以上に恐れて、過度な対策を求める風潮になってしまっていることが問題であるなら、やることはひとつです。
コロナの病気としての危険性を正しく認識して、
どの対策が理にかなっていて、どの対策が科学的根拠のない気休めなのか。
そういった正しい知識をきちんと世間に広めていくことで、世間の価値観や風潮を変えていくこと。
世間の価値観と風潮を正せれば、真っ当に活動することに対して批判が生まれることはありません。
世間の価値観や風潮が正しい方向に向くように、自らが働きかけていく。
それが今のコロナの不幸を終わらせる一番の近道だと思ってます。
よく見かける「ウチらはコロナ対策に徹底して取り組んでいます!」は、コロナ優等生としてたくさんの賛同をもらえるかもしれないけど、もしそれが過剰対策であったときには、取り戻したい日常を自ら遠ざけてしまってることは意識してほしいなと思う。
コロナによる不幸が少なくなりますように。
不幸が1秒でも早く終わりますように。
コメント