【日常】レディース&ジェントルメンという言葉狩りが生み出すもの

レディース&ジェントルメンという言葉狩りが生み出すもの

言葉狩り

 

いろんなところで耳にする「レディース&ジェントルメーン!」って言葉。

これ、公式な場所からは排除の流れなんだってさ。

「ハローエブリワン」的な言葉で代用されるようになるらしい。

 

 

 

記事ではディズニーランドや航空アナウンスが例にあがっていたけど、

けっこう映画や演劇作品の中でも「レディース&ジェントルメン」って言葉は多く使われてきたと思う。

これからはおそらくどの業界においても、慣れ親しんだこの言葉は聞き納めとなってしまう模様。

悲しいね。

 

 

 

 

コレ、排除されちゃう理由は、性差別になるからってことらしいけどね、

 

世の中にはレディースにもジェントルメンにも属さない人がいるでしょ的な。

そういう人たちに向けての配慮らしい。

 

 

 

 

 

でもねー、どうも個人的には疑問符が消せず (-_-)

 

 

 

「レディース&ジェントルメーン!」って言葉で傷付くと想定されるのは、

LGBTの中でもトランスジェンダーにあたる人。

(レスビアンもゲイもバイも肉体に準じた性別で呼んで問題ないはず)

 

トランスジェンダーは、

男性の肉体だけど心が女性だったり、

逆に女性の体だけど心が男性だったり、

または心の性別がどちらにも決まらない人たちのことだ。

 

 

こういったトランスジェンダーな人たちがそこにいたとして、

仮に「レディース&ジェントルメーン!」って掛け声やアナウンスを耳にしたとき、

いったいどんな心情になるんだろう?

 

・・・ごめん、自分にはわからない。

想像してもたぶん正解にはたどりつかない。

 

ただ、どんな心情になるかは人によって全く違うんじゃないかな?

同じトランスジェンダーであっても、その人によって感じ方はそれぞれ多種多様だと思う。

「べつにそんなんどうでもいいんだけど?全然気にならないし」って人もいるだろうし、

「男と女を区別するワードは耳にするだけで不愉快」って人も少なからずいるだろう。

 

 

だから「レディース&ジェントルメン」って表現は止めて、

無難に誰も傷付けない「ハロー、エブリワン」に変えようって流れは、まぁわかる。

 

なぜかというと、この言葉を変えたことでとくにデメリットがないから。

ただ言葉としての表現が変わるだけで、そのことで困る人はほとんどいないからだ。

傷付く人が少しでも減るのであれば、デメリットもないし変えてしまおうという判断はある意味正しいんだろう。

 

まぁ、耳慣れた言葉がなくなったことへの違和感はしばらくあるだろうけどね。

あの「レディース&ジェントルメーン!」から始めるイベントのワクワク感にちょっと未練あるし。

でも今回の変更で不幸を感じる人が少しでも減るなら、それもやむなしかなとは思う。

 

 

 

 

でもねー、

 

 

ちょっと懸念に思うのが、

 

 

今回「レディース&ジェントルメン」って表現を別のものに変えたこと。

これってつまり「レディース&ジェントルメン」という表現にNG認定を下したってことなんだよね。

それも世界的な大企業がやったことで、世間一般においての常識として定着する。

もうこの表現は使ってはいけませんよーと公的にNG認定を下したことになる。

 

 

考えてみればすぐわかるんだけど、

 

 

これ「レディース&ジェントルメン」がNG扱いとされるならさ、

その理屈でいうと「メンズ&レディース」もNGになってくるよね。

当然ながら「ボーイズ&ガールズ」もダメ。

 

だって、同じ意味合いだもの。

 

世の中の人間を男性と女性のみに分けてしまう言葉。

もしくは男性と女性以外の存在を無視した言葉。

これを理由にレディース&ジェントルメンが差別表現としてNG認定されるのであれば、

こういう類義語もすべて差別表現としてNG認定されるのが道理でしょう。

 

っていうか、日本語の「男女」って言葉さえもダメってことになっちゃうね。

さらに父母とか、兄弟とか、姉妹とかもアウトだね。

どれも男性女性以外の存在を無視した表現になるもん。

 

 

 

そうなるとさ、我々の身近な生活で考えると、

 

 

ユニクロはメンズ売り場とレディース売り場で区別できなくなり、

化粧品もメンズとレディースの区別もできなくなり、

トイレは男女で区別できなくなり、

銭湯も男女で分けられなくなり。

 

メンズエステやレディースクリニックって看板出してるお店は、店名の時点で差別認定。

「Boys & Girls」を歌う浜崎あゆみは差別認定。

デュエット曲「男と女のラブゲーム」で男性パートって表現したら差別認定。

学校で「はーい、男女でチーム分けしまーす」って言った先生は差別認定。

老人ホームに慰問した小学生たちが「おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちはー!」って言ったら、それも差別認定。

 

っていうか、もう「男女」って単語が差別なら、

もはや「男女差別」って言葉さえも差別表現になるという、ね。

なかなか滑稽な話ですね(汗)

 

 

 

そんな極端に考えんなよ、って言われそうですが、

レディース&ジェントルメンって表現をNG認定するってことは、その先にあるのはそういうことなんですよね。

 

レディース&ジェントルメンに類似する、「世の中の人間を男性と女性だけに分けた表現」、もしくは「男性女性以外の存在を無視した表現」が、すべて公的にNG認定されたってこと。

今回のレディース&ジェントルメンNG認定は、そういうことなんですよ。

 

 

「レディース&ジェントルメン」って言葉にNGをつきつける行為自体はとってもカンタン。

それ自体は難易度は低いし、実現も可能です。

実際に今回実行したわけだし。

 

だけど、それによってたくさんの類義語が同時にNGになったワケで。

「メンズ&レディース」「ボーイズ&ガールズ」「男女」などの単語も同じようにNGとして扱っていくなら、

我々の生活の中でその対応をしていくのはどう考えても困難だし、すべてをわだかまりなく解決なんて不可能と言っていい。

 

 

 

いったい、これからどうしていくつもりなんだろう?

 

 

衣料品売り場には「メンズ(※肉体的な意味で、精神的な意味ではありません)」とでも注釈を書いていくんだろうか?

お風呂は男性浴場、女性浴場、レズ浴場、ゲイ浴場・・・って全部作るんだろうか?

 

もちろん精神的な性別認定を見直すことは良いことだし、進めていくべきことなんだけねど、

自分達には肉体的な性別があり、すでにそれによる区分けはあらゆるシチュエーションでされてしまっている。

そこに精神的な性別の区分を加えていくのは、現実的に超絶に困難でしょ。

 

 

さきほど挙げたような、メンズ・レディース商品の表現を変えるとか、ゲイ浴場を作るとか、これらの例はまず実現しないでしょう。

現実問題、それを実現させる道のりが困難過ぎるから。

でも、実現はしなくても、そこには「レディース&ジェントルマンの類義語がNGである」という価値観はしっかり残るわけで。

 

つまり、行動には移せないのに、差別用語だけが残った状態。

これがどんなに歪んでいる状態なのか、どんなに人々を生きづらくするか、どんなに揉め事を引き起こすか、どんなに不幸を生み出すかって話なんですよね。

 

 

そこまで考えないで「レディース&ジェントルメン」って単語だけ変えて、

それで差別をなくした気になって正義感に浸っているなら、

正直言ってそれは無責任だし、そんなケースバイケースの正義感は死ぬほど胸クソ悪い。

 

 

「レディース&ジェントルメン」という簡単な問題に気軽にメスを入れたことで、

そこから着地点の見えない矛盾やら葛藤やらの板挟み地獄にみんなで足を踏み入れちゃった感じ。

着地点はいったいどこになることやら。。。

 

 

これから「それは差別だガー!」「やってられるかガー!」みたいな不毛な揉め事増えるんだろうなぁ。

LGBTの当事者をほったらかしにして、第三者同士の罵り合いとか。

(今回の件もすでに関係ないところでやり合ってるのが見受けられるし)

 

 

そういう意味では今回の件はやっぱり言葉狩りなんじゃないかなぁ

 

「レディース&ジェントルメン」の排除だけで済むのならそうはならないんだけど、

その先の類義語に起きることまで考えると個人的には言葉狩りに等しいことになると思う。

結果として本来の目的を見失った、ただ言葉尻をとって何かを達成した気になるだけのオナニー行為になるんじゃないか。

 

 

 

今回の「レディース&ジェントルメン」の排除。

世界から悲しい思いをする人を減らすために良かれとやったことなんだろうけど、

結果として不幸は減らせたんだろうか?

いらんところで新しい不幸が増えてくんじゃないだろうか?

 

やれやれだぜ。

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