漫画『ルックバック』の不適切表現の修正の件
『ルックバック』作品内に不適切な表現があるとの指摘を読者の方からいただきました。⁰熟慮の結果、作中の描写が偏見や差別の助長につながることは避けたいと考え、一部修正しました。
少年ジャンプ+編集部https://t.co/Vag51clfJc
— 少年ジャンプ+ (@shonenjump_plus) August 2, 2021
先日、これすごいからみんな読んで!と紹介した漫画『ルックバック』ですが。
作中に不適切な表現があるんじゃないかという点で問題になってしまい、
昨日、最終的にジャンプ編集部は該当箇所を修正するという対応を取りました。
ジャンプラで公開されている作品にはすでに修正が入っているので、
元々の状態のモノはもう読めなくなっています。
今後発売されるコミックスも修正版で発表されるとのこと。
問題となったシーンは、京本を襲った殺人犯の描写。
「犯人に幻覚や幻聴の症状があった」という描かれ方をしていたため、統合失調症患者がまるで殺人を犯すシンボルに見られて差別や偏見を助長するのではないか、という意見が寄せられました。
結果として、ジャンプラ編集部は修正という判断。
幻覚や幻聴の症状の描写を無くして、被害妄想を持った身勝手な中年男性を犯人像に変えました。
案の定、Twitterではこの件について賛否両論でして。
ルックバックの修正。
基本的にフィクションと現実は混ざり合わない別世界であり、世界を作る立場の人間以外がその世界を「直す」権利はない。読者は作品を批評する自由はあれど、「ここを直せ」と言う権利はないのだ。
一切他人を傷つけない表現など存在しないのだから、今回も直す必要はなかった。— Andy K. (@usoemon) August 2, 2021
ただルックバックにおいて今後心配があるとするなら「ゴネれば内容を変えられる」という前例を作ってしまったこと
今後も「気に入らない表現はクレームを入れれば潰せる」と考える人間が現れるかどうかだよ— 【Chris】@白瀧 (@crux1031) August 2, 2021
ルックバックはなあ……何をどう言ったもんかすごい躊躇する。
表現に制限がかかる危惧もわかるし、障害者サイドの言い分もわかる。
そして今回は偶然、統合失調症だっただけで、もしADHDっぽい表現が来た時はどうなるだろうって思うと、私は容易に修正すべきじゃなかったとは叫べない。— 空也@ソラヤ (@PATCH_RABBITpix) August 3, 2021
ルックバックの表現修正、フィクションの世界では何が許容されて何を許容してはいけないのか、意図していなかったクレームにどう向き合うべきなのかという難題にぶち当たってしまうな。。創作に取り憑かれた人達の陰と陽、明暗を描いた物語としてのあの当初の犯人像にすごくゾクゾクしたんだけどな。。
— 宇宙ぐうたらグリム (@glim_blackstar) August 2, 2021
Twitterタイムラインをざっと眺めた感じだと、
おおよそ8~9割が「差別表現とは思えない」または「修正に応じるべきでない」って意見ですね。
残りが「難しい問題だからなんとも言えない」「修正してよかった」って感じ。
うーん、自分はですね、
「この表現のせいで統合失調症患者=殺人を犯しかねない人ってイメージを強めることは自分はないけど、人によってはそういうイメージを持ってしまうケースがあるとは思う。でもそれであったとしても、作品は修正すべきでない。」
っていう意見です。
「偏見を助長する可能性を認めるのに表現OKってどういうことだよ!」って怒られそうですが。
まぁ、最後まで聞いてくださいな。
まず大前提から言えば「人に影響を与えない作品なんてない」ってこと。
(あ、つまんなくて何の興味も持てなかった作品は例外ね)
これについては説明不要で、誰しもに同調いただけることなんじゃないかと。
これは映画、アニメ、演劇、歌、音楽、絵画、その他アート作品すべてのジャンルにおいて言えます。
「感動」という言葉は「感情が動く」と書きますが、正にそのまんまであって。
作品に触れた人は何かしらの感情を抱き、それによって今後の生き方に対して何かしらの影響を受けることになります。
作品は、人に何かしらの影響を与えます。
加えてもうひとつ大事なこと。
「同じ表現であっても、受け手次第で受ける影響は全然違ったものになる」
ということです。
これの良い例が、ヤンキー漫画ですよね。
基本的に主人公は「弱きを守る情に厚い正義のヤンキー」であるパターンが多いですが、
一方で未成年喫煙をしたり、校則違反とみられる格好をしたり、殴り合いのケンカをしたり、という描写が多々あります。
言わずもがな、これらはアウトローであり現実世界ではNGな行動です。
でも、もちろんこれらはあくまで漫画の中の設定。
喫煙も、校則違反の格好も、ケンカも、すべてフィクションを生きる主人公の周辺環境でしかありません。
作者もこういった行為を現実世界で肯定したくて書いてるわけではないでしょう。
これをどう受け取るかは、読者次第なんですよね。
仮に読者がその主人公を魅力的に感じたとして。
主人公のアウトローな日常を、魅力的な主人公を演出するためのただの物語上の設定として捉えるか、
それを現実世界でも正当化&模倣してしまい自らもヤンキーになってしまうのか、
今回の『ルックバック』での描写についても、まさにそうで。
フィクションの中に、幻覚や幻聴があるという設定がされた殺人犯がいました。
これをただの物語上の設定として捉えるのか。
物語の中だけでなく現実世界においてもこれが常識であると捉えるのか。
ちなみに自分は『ルックバック』を読んでみて、
特定の疾患を持つ人が危険因子だという印象が無駄に強まることはありませんでした。
自分以外でも同様の感想を持つ人は大勢いると思います。
でも、残念ながら「幻覚や幻聴がある人=頭おかしい人=殺人を犯しかねない人」って偏見を強めちゃった人が一定数いたことも事実なんじゃないでしょうか?
そしてそれに対して傷ついた人がいたことでしょう。
『ルックバック』を読んで不愉快な思いをしたという人は間違いなくいるわけです。
でもね、
だからといって、これがNGだっていうのは安直だと思っていて。
もちろん誰一人傷つかない表現が理想ではあるんです。
でも、それはあくまで理想論でしかなくて。
受け手それぞれによって解釈の仕方が無限大である以上、人類70億人が誰一人として嫌な思いをしないで済む表現なんて、事実上存在しないんですよね。
ルックバックにクレームした人のツイートです。これが通るなら「私は男性ですが人を殺しません。ですから、男性が人を殺すマンガを書かないでください。」「私は無職ですが人を殺しません」「私は教師ですが」「私は未成年ですが」じゃあ誰なら人殺していいの?それとも犯罪者を描くなと言うこと? https://t.co/bXBr6rZgfA
— 星野きら (@kirakirakiralo) August 2, 2021
上のツイートはやや極端な例を語っていますが、これが真理でもありますよね。
犯罪者の人物像をどんな設定にしたって、どこかで誰かの特徴に該当してしまう。
設定を被害妄想強めの中年男性にしようが、主婦にしようが、未成年にしようが、外国人にしようが、どれも同じこと。
これだともう犯罪者自体を登場させないか、もしくはエイリアンなどの非人間を犯罪者にするしかなくなっちゃう(苦笑)
こういうのをNG認定してしまうと、
以下のような漫画にありがちな表現が全てアウトになってしまいます。
主人公の女子高生をいじめるスクールカースト上部のいじめっ子グループのビジュアルが、みんな金髪のギャル系で描かれていた。
↓
金髪やギャル系に対して偏見!そういうタイプの人がいじめをするというイメージを持たれてしまう!修正しろ!
主人公が銭湯でぶつかった男に殴られてしまった。その男は強面で顔に傷があり、身体には刺青がビッシリ入っていた。
↓
顔が怖い人、顔に傷がある人、タトゥーを入れてる人は暴力的だという偏見を助長する!修正しろ!
クラスで勉強ができる学級委員がメガネをかけた人物だった。
↓
勉強ができる人、学級委員をする人がみんな近視だなんて偏見を助長する!修正しろ!
太っているキャラクターがいて、いつも四六時中ご飯のことばかり考えている性格で描かれていた。
↓
太ってれば思考回路がいつも食べること中心になってるだなんて偏見だ!修正しろ!
これら、どう思います?
これらを全て取り締まったらキリがないですよね。
映画も漫画もアニメも、まともにストーリーを作ることすら困難になります。
これらを踏まえた上で、ルックバックの件を見返してみると、
特定の病気を患っている人が殺人をする描写があった。
↓
その病気を患っている人が凶悪だという偏見を助長する!修正しろ!
これと、前に挙げた4つとの違いって何でしょうか?
決定的な違いはどこにもないと思うんですよね。
もし前の4つをOKとするのであれば、これだけをNGにするべき理由が自分には思いつきません。
ドラゴンボールではヤムチャが女性恐怖症として面白おかしく描かれていますが、
実生活で深刻な対人恐怖症に苦しんでる人達の中には傷つく人がいるかもしれません。
だからといってこのシーンをカットしますか?
銀の匙では手塩にかけて育てた豚を解体し感謝とともに食する描写がありますが、
ヴィーガンや宗教上の理由で豚を食べない人の中には、不愉快だとして傷つく人がいるかもしれません。
だからといってこのシーンをカットしますか?
メジャーでは主人公たちが甲子園に出場したりプロ野球に入ったりしていますが、
甲子園やプロ野球を泣く泣くあきらめた経験がある人の中には傷つく人がいるかもしれません。
だからといってこのシーンをカットしますか?
ワンピースではルフィ達が海賊王を目指して冒険を繰り広げています。
海外では海賊行為ってのは現代でもあり得る話でして、海賊被害の経験者の中には傷つく人がいるかもしれません。
だからといってこの漫画の連載を中止しますか?
結論としては、誰一人として傷つけない表現なんて存在しないってことなんですよね。
作品に対して批判は出て構わないと思います。
不愉快だと感じる人が出てくることも仕方がありません。
でも、だからといって修正したところでそれはまた別の人を傷つけるだけ。
だったら最初から修正なんてする意味はないし、しなくていい。
少なくとも表現は作り手が自由に作り上げるもので、受け手が作り上げるものではないのだから。
それが自分が今回の件について思ったことです。
もちろん明らかに傷つけることを目的として恣意的に行われる差別表現も世の中には存在していて。
仮にそうであれば問題にすることは構わないと思いますが。
でも、本作についてはそれはないでしょう。
藤本タツキ氏がわざわざ統合失調症をディスる目的で本作を発表したようには自分は思いません。
これは作品内に隠されたメッセージ「Don’t Look Back In Anger」からも明らか。
「怒りとともに過去を振り返らないで」
京アニ事件の犯人に対して憎悪の感情を持ったままの人が、こんなメッセージを作品に込めますか?
もうこれがすべてですよね。
あー、表現やフィクションに対して、何かと目くじら立てる風潮がおさまればいいなぁ。
哲学的な話になっちゃうけど、そもそも人間は生きているだけで誰かを傷つけてるワケで。
お金や地位や仕事といったものが有限である以上、自覚のないところでも必ず何かしらの競争は発生しています。
なんでもかんでも「傷つく人をゼロにするべき」を前提にしちゃうと、表現どころか生きることすらできなくなっちゃうよ。
もっとスカッとした時代にならないかなと思いつつ、今日はこのへんで。
したらな!
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