【パーツモデル(手タレ)】手タレが昨今のルッキズム批判について考えてみる

手タレが昨今のルッキズム批判について考えてみる

「美女・美男図鑑」という企画が批判を浴びた

 

 

先日、近畿大学の受験生向けパンフレットの中に「美女図鑑」「美男図鑑」ってコーナーがあったことで、「ルッキズムだ!」って批判が集まり炎上してました。

 

 

昨今はジェンダーやルッキズムに関して見る目が非常に厳しくなりまして。

イケメンである、美女である、と認定するような発言をするだけでも顔で差別をしているとされ、否定的な意見が飛び交う風潮がどんどん強くなってきました。

いまやもう大学の「ミス〇〇」みたいなお祭り企画もほぼ消滅しつつあるそうです。

 

 

 

 

個人的には、うーん、なんだかなぁー。ってのが率直な感想。

 

 

 

それぐらい許容してもいいんでないの?と。

 

 

 

 

今回のページには掲載者たちの氏名など個人情報が添えられてたらしいので、変なストーカー事案に発展しないようにそのへんの塩梅はちょっと考えたほうがいいかなぁとは思うけど。

でも、ルッキズム批判を受けるべきかどうかって部分では、美男美女紹介しまーす的な企画で掲載される本人たちが内容に納得の上での掲載だったら、個人的には問題とは思わないかなぁ。

別によくない?

 

 

だってこの企画を見た近大生の中でさ、「俺はブサイクだから声がかからなかった!傷つけられた!差別だ!」なんて言ってる人、どこかにいるんだろうか。

もちろん、いつのまにか勝手に自分がこの美男美女企画に参加させられていて負け判定(顔的に劣ってる判定)を下されたんなら、そこは怒っていいところだけどね。

でも、今回のはそういう話でないはず。

 

 

今回の事案で無関係の人が差別を受けた気になったっていうんなら、それ確実に被害妄想だと思うんだけど。

 

 

だって、仮に俺がジュノンボーイコンテストの優勝者見て「ルッキズムだ!先天的に顔が悪い俺にはこんなコンテストに出るチャンスさえない!差別だ!謝罪しろ!」なんてわめいてたらさ、何なのこのおっさんって冷めた目で見るでしょ?

ごめん、俺自身も冷たい目で見るわ(苦笑)

それと大差ない。

 

 

自分が関わってない美男美女企画なんて、ただのお祭り企画とみてスルーしてあげればいいと思うんだけどね。

ホットドックプレスの「街でイケメンに声かけてインタビューしてみました」みたいなもん。

それが大学のような公的な場所になると急にそれがNGになるって理屈はないと思う。

(しかも近畿大の学生が憤慨して声を上げてるんならともかくね、声を大にして批判してんのはだいたい外部の無関係な第三者)

 

 

また、中には「編集者の価値観で勝手に美男美女を決めるな!」なんて風に怒ってる人も見かけたけど。

それはいまさらだし、今回の件への批判としては論点がズレてるような(苦笑)

ミスコンだろうが、ミスユニバースだろうが、欽ちゃんの仮装大賞だろうが、定量化できない分野においては審査を行う人間の趣味趣向による部分が大きいのは言うまでもなく。

そんな部分に文句つけたって何の意味もないでしょーよ。

 

 

見た目もその人の立派な武器のひとつであること

 

「順位を付けたり、格付けしたりしているものではない。何らかの価値観を押し付けているとまでは言えない」と指摘。その上で、IQの高さや運動神経など「何を是とするかはそれぞれの価値観。見た目が良いことで輝ける人もいる」と述べ、「過剰なルッキズム批判は、見た目の良さで自己実現を図ろうとする人の門戸を閉ざすことにつながる」

引用元:Yahooニュース『近大パンフ「美女・美男図鑑」で波紋 ルッキズム批判も学生からは人気』

 

これは三浦瑠麗さんの言葉だけど、自分もこれに賛成。

 

 

今回の美男美女企画はランク付けをしてるわけでもないし、そこに掲載されていない人間を乏しめるわけでもない。

ただそこに企画部主観で美男美女と称した人達が紹介されているだけであって、「誰が不細工だ」とか「不細工は美男美女よりも劣っている」みたいな価値観を主張をしてるもんでもない。

 

また、人間はいろんな場所でいろんな能力を評価されるもので。

学力や運動能力や人柄もそうだけど、ルックスが良いことだって立派な能力のひとつ。

実際に社会にはルックスがいいことで活躍できる場があるのだから、それは認めるべきなんじゃないかな。

 

 

「人を見た目で判断してはいけない」=正しい、という罠

じゃじゃん!クイズ!

次の質問にイエスかノーで答えてください!

 

 

「人を見た目で判断してはいけない」、イエス or ノー?

 

 

 

たぶん、ほぼ100%に近い人がイエスと答えるんじゃないかな。

「人を見た目で判断してはいけない」って言葉は子供の頃から何度も何度も耳にしているだろうし、そうあるべきだと教え込まれてきているはず。

自分もそうだし。

「人を見た目で判断してはいけない」って、誰もがその言葉を正しいと思っている。

 

 

 

ただ、それがひとつの罠だと思っていて。

 

 

 

正しいけど、常に正しいわけではない、がホントのところなのよ。

 

 

 

「人を見た目で判断してはいけない」が正しいってのは、それ日常の道徳的なシチュエーションでしかなくて、実際は人を見た目で判断するシチュエーションは世の中に山ほどあるんだよね。

だって考えてみりゃ、芸能界なんてモロにそうでしょ?

 

 

 

自分の職業である手タレだって、そう。

(最近おまえ手の仕事してねーだろとは言わないで!泣く!)

 

手は普段の手入れでキレイにできる部分もあるけど、そのほとんどは見た目という先天的要素。

手の大きさ、指の長さや太さ、指が真っすぐであるかそうでないか、関節の節の太さ、爪の形、肌の色など、お手入れでどうにもならない部分が多々ございます。

はっきり言って、見た目という先天的要素がオーディション合否を決めることは非常に多いと言っていい。

 

【補足】
あ、いちおう勘違いされやすいので書いておくと、手タレに求められるのは「誰もの目を引くような美しい手」じゃなくて。ハンドクリームみたいな手を美しくするのが目的の商品だったら美しい手でいいんだけど、それ以外の場合は基本的に「商品がPRできる手」がベスト。手を添えることでその商品を使用してる姿の具体性を与え、なおかつ商品のサイズ感やフィット感を演出できて、さらにホクロや傷など無駄に見る人のフォーカスを奪わないような手、それが手タレに求められるものです。

 

もしオーディションに落ちたときに、不合格となった人間がいちいちこれに対して「見た目で判断された!ルッキズムだ!ファック!」なんてクレームつけてたら、もはや業界が成り立ちませんわな。

つまりこの場合は「人を見た目で判断してはいけない」が成立しないと言える。

 

 

繰り返しだけど、「人を見た目で判断してはいけない」が正しいとされるのは、あくまで日常の道徳的なシチュエーション。

正しく機能するのは主に「人柄を見た目で判断しちゃいけない」ってときだと思う。

それ以外のとき、とくに経済活動においては、それが成り立たない場面のほうが多いんじゃなかろうか。

 

 

世の中には見た目で判断されるケースが山ほどある

見た目で判断されるケースだけど、やはり前述した芸能界が一番多いんじゃないかと。

モデルにしろ、アイドルにしろ、俳優にしろ、みんなそう。

もちろん内面的な魅力も重要だけどね。

 

画像引用元:みんなのランキング『女性芸能人ランキング!みんなが好きな有名人は?』

 

この好きな女性芸能人ランキングとか見れば1~10位まで全て美人揃いで、明らかにルックス要素が大きく影響出てるなってのは誰の目にも明らかでしょ?

(芸人さんの場合は面白さがダイレクトに人気に直結してるように思えますが)

 

 

ちなみに、これは純粋に美人かどうかって話に限ったことではなく。

見た目から感じられる雰囲気もそう。

明るそう、清純そう、温和そう、庶民っぽそう、優雅そうってのも全部ルッキズムでしょ?

だって世の中には比べてそうでない見た目の人がいるワケで。

そこで判断して優劣つけることも立派なルッキズムのひとつ。

 

先天的に褐色肌の人は日焼け止めのCMオーディションに勝てるチャンスは少ないし、

先天的に顔に班ができていれば美容液のCMオーディションには呼ばれもしないかもしれない。

これだってルッキズムになっちゃう。

 

 

芸能人でなくとも、女子アナなんかもそうだね。

こんな書き方すると嫌悪感持たれそうだけど、世の中の平均ラインより確実に上をいく美人さんが多く揃っていると思う。

 

 

あとルックスに身長を含めれば、次のようなのもあったり。

 

警察官や消防士、自衛官などは一定身長がないと就くことができず。

相撲取りや海外のバレリーナは一定以上の身長ないと門前払い。

宇宙飛行士は身長が小さすぎても大きすぎても不採用。

ミッキーマウスの中で演じる人は低身長じゃないやらせてもらえない。

 

もうね、世の中ルックスで判断されることだらけだし、先天的要素で判断されることだらけなワケです。

そこにルッキズム的な平等は持ち込みようがないことは明白でしょう。

 

 

そもそもヒトは美しいモノを評価する生き物

 

 

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すごい根本的な話になるんだけども。

そもそも、人間って美しさに価値を感じて暮らしている生き物だと思うんだよね。

 

でないと、Instagramなんて流行らないもん。

美しく盛りつけられた料理やスイーツに魅力を感じ、美しい海や夕日などの自然の景色に感動し、可愛い犬や猫の姿にいとおしい気持ちになっている。

逆に飲食店で注文した品がぐちゃっとした盛り付けだったら不愉快になるし、ありふれた濁った海の風景だったら何のときめきもない。

 

ダイヤモンドだってカラット、カット、カラー、クラリティなんて基準で美しさの価値づけをしているし、

身に着ける服やバッグだって、機能性よりもビジュアルを優先して選ぶことは多いはず。

(そういったことに無頓着な人ももちろん一定数いるけど)

 

 

つまり、人間っていろんなモノの判断をビジュアルでやっている生き物なワケで。

モノに対してそれをやっている以上、ヒトに対してそれを全くしないってのが、そもそも無理筋なんじゃないかなぁなんて思ったり。

 

であれば、ヒトに対してビジュアルで判断する行為すべてを頭ごなしにNGとするのではなくて、いつ、どこで、どんなシチュエーションであればOKかの線引きを考える必要がある。

 

 

 

結論。「人を見た目で判断する」の是非はケースバイケース。

ここまで読んでもらって何%かの人には、

「こいつ人を見た目で判断するルッキズム主義者だ」って誤解されてそうでアレだけど(苦笑)

そういうんじゃないですってば!(汗)

 

 

別にね、自分は「人を見た目で判断してはいけない」を全否定したいわけではなくて。

 

 

自分が思うのは「見た目をポジティブに推していい場所があってもいいし、それを積極的に競う場所があってもいいし、すでに見た目が評価される場所があるのは事実だし」ってことで。

それを踏まえると近畿大の事案も、別に咎めなくたっていいんじゃない?ってこと。

 

つまるところケースバイケースなんですよね。

「それを見た目で判断しちゃダメでしょ」ってケースもあるし、「そこは見た目を競い合っていいんじゃない?」ってケースもあるし。

「人を見た目で判断してはいけない」を全てのケースに適用しようとするから歪が生まれる。

 

 

 

もしどうしても見た目で競うことを目にするのが嫌で仕方ないなら、嫌でいいからほっといたらいいんじゃないかな。

 

 

あなた自身が強制的にそこに参加させられていない限り、実害はないと思うよ。

あ、なんか意図せずプペルバレエの記事と同じような結論になっちゃったけど。

今度から「ほっといたらいいんじゃないかなおじさん」を名乗るようにするか( ¯灬¯ )

 

 

 

ま、あくまで自分の主観でーす。

いろいろ反論もあるだろうけど、それはそれでいいんじゃないでしょーか。

とりあえずギスギスだけせんときなはれや。

 

したらな!

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