【演劇】演劇プロデュース『螺旋階段』「静寂に火を灯す」

【演劇】演劇プロデュース『螺旋階段』「静寂に火を灯す」

演劇プロデュース『螺旋階段』「静寂に火を灯す」

静寂に火を灯す

 

盟友・緑慎一郎の作る芝居を観てきた。

演劇プロデュース『螺旋階段』「静寂に火を灯す」。

in 神奈川県立青少年センター スタジオHIKARI。

 

 

劇場の最寄り駅である桜木町は、これまで稽古や観劇で何度も何度も訪れていた場所だけど、コロナ禍に入ってからはすっかり訪れる機会が少なくなってしまい。

久々に降りてみれば、道も建物もがっつり整備されてて、見上げりゃゴンドラが空飛んでる(笑)

なんだか、新しい景色に驚きもワクワクもあったり、無くなった景色に寂しさもあったりで。

妙にソワソワした気持ちになるね、こういうの。

 

 

 

そんなこんなで久々の生観劇。

(こないだダンス公演は生で観てきたけど、小劇場の生観劇とはまた感覚が違うなと思った)

 

 

 

本作品はざっくり言っちゃえば、家族モノ。

 

 

ロケーションは小さな製菓会社の事務所の中。

ユーモラスで個性的な人々が、多少のケンカもしつつも和気あいあいと日常を送っている。

でも、そこには「10年以上引きこもって人前に姿を見せていない兄」という暗部があって。

 

 

物語中盤でその兄は自殺してしまう。

 

なぜ彼は死を選んでしまったのか、そのきっかけはなんだったのか、そもそも引きこもった原因は何だったのか、残された家族と友人たちはその理由を考えるが、どれも結論にはたどり着かない。

また、兄は生前何かを探していたと次女は言うが、それすら答えの片鱗にもたどり着かない。

終幕しても兄のことは結局何も明かされないまま、という内容だった。

答えをしっかり欲しい、すべての伏線をはっきり回収してほしいってお客さんには、さぞ消化不良に映ったかもしれない(笑)

 

 

でも現実ってそういうもんなんだろう、って思った。

 

 

結局は兄のことは兄自身にしか理解できず、たとえ家族であろうとその全てを把握することはできない。

「わからないということ」を「わかってあげること」が一つの答えなんだろう。

本人のことは本人にしかわからないのだ。

 

 

 

 

実際、自分の遠くでも近くでも、突然自ら命を絶ってしまったという訃報は多くある。

「なんであの人が!? 昨日まで笑ってたじゃないか」みたいなケースも多い。

 

 

自殺って一般的には、徐々に辛い気持ちを堆積させていって、それが一定値を超えると決行しちゃうってイメージがあるかもしれないけど。

でも個人的には、それは用意周到に遺書を残していたり、樹海を死ぬ場所に選んだりするような、死ぬことをじっくりと時間をかけて吟味した人の場合だけだと思う。

 

 

実際の自殺者は、ほとんどが突発的で衝動的なものなんじゃないかな。

 

 

人間のメンタルの波なんていつでも不安定で、いろんなものに左右されやすくて。

それが何かをきっかけにMAXに来てしまったときに、たまたまホームにいたり、たまたま電車が来ていたり。

室内であれば、たまたま部屋で1人になってしまい、たまたま目の前にハンガーがあって、たまたま引っかけやすいドアノブがあったり。

たまたまそういった死ぬための環境が揃っちゃったときに、もう生き死にの損得を判断することすらどうでもよくなって、衝動に身を任せてしまうような。

 

 

ここ数年間の芸能関係で自殺された方なんかも、そういう状況だったんじゃないと思う。

少なくとも彼らは死ぬことを吟味したとは思えないから。

 

 

そういった死は、家族であろうが親友であろうが原因の特定なんて出来やしない。

もちろん週刊誌が推理ごっこしたって結論が出るワケがなく。

周囲がどんなに必死になって「死を決断した理由」を探そうが、もしかしたら本人にとっては事の直前は判断能力なんかなく、大きな決断をした自覚なんてまったく無いのかもしれないのだから。

 

 

 

実はね、自分自身もそういう感情になった経験があって。

 

 

しかも結構最近の話だったりする。

まぁ、もちろん命を絶たずに済んで、今日こうして無事に生きてるわけだけど(笑)

 

 

その日は何もかもがうまくいかなくて。

 

仕事では、そんなトラブル1万回に1度じゃない?みたいなのがいくつも重なり。

電車は遅れ、止まり、そんな中で質の悪い乗客と隣になり不愉快な思いをし。

歩いていれば、曲がり角という曲がり角から誰かが飛び出してくる。

いろんな店のドアから人が飛び出してきて俺にぶつかってくる。

俺の前を歩いてる人が突然振り返って俺にぶつかってくる。

 

自分を取り巻くあらゆるものが自分を邪魔してきているような、そんな不運続きの日だった。

人生でたった1日の間に5回も6回も人にぶつかられた経験あります?(笑)

 

仕事がうまくいかなくても、人に何度もぶつかっても、そりゃ別に大したことじゃないんだけどさ。

ただ、まるで神様達が天からニタニタ笑いながら俺を見ていて「次はこんな嫌がらせをしてやろう」「次はこんなトラブルに巻き込んでやろう」と繰り返し悪戯されてるような感覚に、やり場のない怒りが溢れてしまって。

その怒りとストレスで脳内物質やホルモンバランスなんかが崩れたのかもしれない。

呼吸が浅くなって、頭は脳みそに直接アルコールを注射されたかのようにぼーっとして、視界がブルーフィルムかかったように青黒くなり、たぶん突発的な鬱状態になったんだと思う。

 

 

たった1~2時間だけだったけど、確実に「別に今死んでもいいや」と思った時間帯があった。

 

 

運良く、そこにホームはなかったし、電車も来ていなかった。

部屋で1人になることもなかったし、視界にはハンガーやドアノブもなかった。

そうこうしてるうちに冷静になって、「どうでもいい自分」はいなくなって、「どうでもよくないいつもの自分」が戻ってきてくれた。

 

まぁ、ラッキーだったんだなと思う。

あの日あのとき、目の前に気軽に死を与えてくれるアイテムがなかったことが。

 

 

いま思い返せば、その日に降りかかった不運な出来事のひとつひとつははっきりと覚えていないようなレベルのモノだったし、命を絶つ理由としては本当にありえないぐらい弱かったと思うし、生きていたほうが楽しいことは当たり前に想像できるし、残される者を考えれば絶対に死ぬなんて判断には至らないはずなんだけどね。

ホントあのとき、自分はどうかしちゃってたとしか言いようがない。

 

 

だから、もし万一そこで俺が死んじゃっていても、誰も死因なんてわからなかったろう。

人から「自殺するような人じゃなかった」って言われる、動機が見当たらない不可解な自殺。

でも、そういう死に方をする人って、決して少なくないんじゃないかな。

 

今回の芝居を見てそんなことを思い返してみたり。

(あ、ホントに衝動的なアレだったんで、俺がいま何か悩み持ってるとかじゃないので変な心配ご無用ね)

 

 

繰り返しだけど、本人のことは本人にしか分からない、それがひとつの結論なんだろうなー。

 

 

 

あ、なんか話が逸れちゃったけども。

 

 

 

別に自分の体験談を書きたかったワケではない(笑)

書きたかったのは観劇の感想だっての。

 

 

ほい、作品の感想的な話。

 

 

 

あらすじ

2002年3月に三十五歳の東北智明は自ら命を絶った。智明は二十三歳の時から自宅に引き籠って暮らしていた。ごくごく平凡なある日、智明はこの世からいなくなった。あまりの唐突さに上手く受け止められない家族と従業員たち。四十九日で集まった家族と友人たちは智明を想い出すようにして語り始める。

 

劇中で一番衝撃的な出来事はもちろん兄の自殺なんだけれども、これは上記のようにあらすじの時点で明示していて。

観客は、兄が自殺してしまうことを知った上で観劇に臨んでいるわけなんだけど。

 

 

でも、そのシーンがやってくるのは開演から1時間以上経った後なんだよね。

 

 

普通さ、あらすじで「自ら命を絶った」って書いてあったらさ、物語冒頭でその事件が起きるか、すでに起きた後から始まるのがセオリーじゃん?

でも、なかなか事が起こらない。なかなか死なない。

あらすじに書いてあるのに(苦笑)

 

 

これはあえて脚本的にそういう構成にしたらしい。

 

 

つまり観客は「これから自殺してしまう男に接している人々の姿」をずっと見せられることになる。

次女は献身的に兄を気遣い続けるし、親友の一人は感傷的になって「出てこいよ!」と叫んだりする。

でも、観客は彼が自殺する未来を知っている。

登場人物たちがどんな努力をしようがそれに関係なく、彼は死んでしまうのだ。

 

これはとてもせつなく、胸が締め付けられる感があった。

どうにもならないんだよなって。

この構成が前述した「本人のことは本人にしかわからない、他人はどうこうできるものじゃない」というリアルをより強く強調しているなぁと思った。

 

 

 

また、兄が健康的な生活を送れていたときの姿を一切描いていないのも良いと思った。

シビックで事故ったときのエピソードも親友の語りだけで済ましてるし。

普通は回想シーンとか入れたくなっちゃうんだけどね。

お客さんが彼の具体的な人間像を想像することを、あえてさせないように仕向けたのは、作品のテーマとしてすごい有効だったんじゃないかな。

(作り手としてはそう仕向けるのはすげー勇気が要ることなんだけどね)

 

 

あと照明がすごいよかったなぁ。

窓から差し込む夕日の調整や時間経過へのこだわりが極まっていて。

あの灯りで母がお骨にツンツンしてるのは、そりゃあシーンとしてズルいってもんよ(笑)

 

 

 

もう全公演日程終わっちゃったしDVD化もないと思うんで、ぜひ観てみてねと言えないのはアレなんだけど。

空に向かって「おすすめよ!」とだけ言っとこう(苦笑)

 

見逃した方は次回作にご期待くださいませ。

きっとまた違った形で心をえぐるような脚本を持ってくると思います、彼。

 

 

お疲れさまでした!

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