あいちトリエンナーレの問題でみる表現の自由ってやつ
題名「間抜けな日本人の墓」
あいちトリエンナーレ博覧会 pic.twitter.com/llH83Y4VZJ
— 🇯🇵🌸 ⁂ ごんべぇ 🍉🍉 (@jp27osaka) August 7, 2019
いつまでたってもあいちトリエンナーレの話題も収束しませんね。
あんまり今回の話題を良く知らない人はこちらをドーゾ。
図解入りでわかりやすく経緯と問題を解説してくれてます。
本文だけだと執筆者の意見に寄っちゃうので、反論コメントなんかも合わせて読むと中立的な立場で流れを理解できるかと思います。
全然収束しない一番の理由は、
この問題に絶対的な正解がないことだろうね。
それぞれがそれぞれの価値観で怒ってるから、正解がないし、ゴールもなく、それなりの落としどころもない。
そりゃあ大変だわ。
しかも論点も複数あって、議論するポイントも分散してんだよね。
「芸術と表現の自由は侵害されてよいのか」
「アートではなくヘイトではないのか」
「国の税金でやっていいものなのか」
いろんな複合条件があってそれらが複雑に絡み合ってるから、かなりのカオス。
そりゃあ、どんだけSNSで第三者が場外乱闘しても解決なんかしませんわな。
このあいちトリエンナーレの件に関して、自分の見解は一応こんな感じ。
まず芸術と表現の自由は侵害されちゃいけないのは絶対だと思う。
これはその作品がどんなものであっても。
今回の慰安婦像や間抜けな日本人の墓って展示物たちは、明らかに特定の層を不愉快にさせるシロモノ。
だから多くの人がこれらを「アートじゃない、ヘイトだ」って言うわけだけど、
考えてみれば、じゃあ「誰一人不愉快にさせない表現ってあるの?」って思う。
戦闘機モチーフの作品を見て、その流線型のボディをカッコイイと感じてワクワクする人もいれば、戦争の時に殺された先祖を思って不愉快に感じる人もいるでしょう。
源氏物語を読んで、ロマンティックな気持ちにひたれる人もいれば、女たらしや浮気を肯定してるみたいで不愉快に感じるって人もいるでしょう。
演劇や映画などの作品でもそう。
たとえば新撰組とかは、作品によって英雄として描かれたり、悪の手先として描かれたりと様々です。
「新撰組はこういうものだ!」って強い信念があればあるほど、自分が思っている新撰組像と違う描かれ方をしてる作品を見たときの嫌悪感は強いと思います。
同じ作品でも受ける印象は十人十色で全然違います。
でも、
それをすべて気遣うって、現実問題として無理でしょ?
100万人が不愉快になればアウト?
1万人が不愉快になればアウト?
100人が不愉快になればアウト?
1人でも不愉快になればアウト?
誰1人として不愉快に思う人がいなくて、初めて芸術?
正しい線引きがどこかなんて誰にも分からないですよね。
だから件の慰安婦像も、間抜けな日本人の墓ってやつも、みんなそう。
どんなに多くの人を不愉快にしようが、誰に対して政治的な攻撃をしていようが、
作った人が「芸術だ」「表現だ」って言い張るならそれはそうなんでしょう。
世に発表することを誰にも止める権利はありません。
芸術と表現の自由は侵害されちゃあいけない。
ただね、
「芸術だ」「表現だ」っていうなら、作品としてどんな批評をされても仕方がないという側面もあって。
作品を作る側にとって自由があるのと同様、見る側にとっても作品に対して批評をする自由がある。
これも誰にも邪魔されちゃあいけない権利。
たぶん今回の展示物たちは、芸術作品として批評されてもメタクソでしょう。
自分も今回の作品たちに対して、
「デザインのクオリティが普通に低い」
「芸術として惹かれる点が見当たらない」
「持たせたいメッセージ性を理解した上で、その表現手法として低俗過ぎ」
「何かをディスる目的を作品に持たせること自体がアーティストとしてダセえ」
といったマイナスな感想しか持てません。
一言で言えば、よくこれで人前に出そうと思ったなレベルのクソ作品って思ってます。
でも、展示自体を中止しろとは思わないし、言わない。
(アーティストとしての力量がバレるから展示しなかったほうが良かったかもねとは思うけど)
どんな芸術や表現もOKだけど、その代わり、どんなことを言われても文句は言えない。
それが芸術や表現の本来あるべき姿だと思うんですよね。
あと税金で開かれている場所で展示されるべきかって点。
個人的にはそれはOKだと思ってます。
これは大村知事が言うとおり、公的な場だからこそ表現の自由はより守られるべきだから。
国のお金だからここまでがセーフで、ここからはアウトね、って、誰にも正しい基準線なんか引けやしません。
あなたは線引きを正確にできますか? 僕はとてもできません。
展示すること自体は何でもありの自由でいいと思います。
その代わり、ボロクソに感想言うのも自由。
クオリティ自体がクソだったり、クソ目的がかいま見えるような作品だったりするなら、ケチョンケチョンにけなしていいと思います。
っていうか、そもそも見に行かないのも自由だしね。
遠い地で気に食わない作品が展示されてる、そんなの気にしなきゃいいんです。
わざわざ自分の人生棒に振ってガソリン脅迫なんかせんでいいでしょ。
興味がなきゃ、触れなきゃいい。
それも芸術のひとつの側面です。
はい、自分の思うところはこんな感じ。
冒頭でも書いたとおり、今回の問題に確かな正解はないです。
だから自分の意見に対して「それは違う!」って反論もいっぱいあると思いますが、
あるラインから先は価値観の問題。
どんなに討論しても、たぶん平行線のままです。
正解のない問題で外野がいつまでも争って、
お互いにけなし合ってるのがあんまり好きじゃないです。
実は、自分のまわりでも知人Aと知人Bがこの問題で揉めました。
当然ながら、どちらも慰安婦問題も昭和天皇も特攻隊も縁があるわけはなく。
ヘイトした側でもされた側でもないのに、なんで外野の日本人同士で揉めなきゃならんのよ。。。
もうこの状況がイヤ。
とっとと収束するといいね、この問題。
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